1800年頃〜 | ロマン主義 ↓ | 新古典主義 ↓ |
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写実主義 ラファエル前派 ↓ | 象徴主義 ↓ | |
印象主義 ↓ | ↓ | |
新印象主義 ↓ | ↓ | |
ポスト印象主義 ↓ | ||
1900年頃〜 | キュビスム ↓ | フォーヴィスム ↓ |
抽象主義 ↓ | 表現主義 ↓ | |
ダダイスム ↓ | シュルレアリスム ↓ | |
コンセプチュアル・アート | 抽象表現主義 |
表現主義
作者の感情を作品に反映させて表現する表現主義は、19世紀末から20世紀初頭にかけておこった、印象派と対立する芸術様式です。
人間の内面に存在する不安、近代都市の矛盾などの内面を、激しいタッチや強烈な色使い、デフォルメなどを使用して表現しました。
印象派(impressionism)は、目に見える光や形が内面に与える印象を表現します。
表現主義(expressionism)は、目に見えない内面の感情を外に表現します。
ゴッホはポスト印象主義の画家ですが、表現主義に大きな影響を与えました。
ムンク
エドワルド・ムンク 1863年〜1944年 ノルウェー 表現主義
『叫び』で有名なノルウェーの世紀末芸術画家。
5歳で母を、14歳で姉を亡くした経験は、ムンクの心と作品に生涯影響を与えました。
有名な『叫び』はムンクが「生命のフリーズ」と名付けた連作のひとつで、ほかに『不安』『絶望』『接吻』『灰』『吸血鬼』などがあります。
死への恐怖、人生の不安、恐れなど、人間の内面にあるネガディブなものを、独特の色彩とタッチで表現しました。

ムンクは『叫び』をテンペラ、パステル、リトグラフなどで複数枚描いた。
この作品はムンクがみた幻覚をもとに「叫び」に対して耳を塞ぐ自分を描いていて、中心の人物が叫んでいるのではない。

アルコール依存症治療のために入院していた精神病院で描いた自画像。

ムンク22歳のときの作品で、結核で亡くなった姉への思いが込められている、ムンク絵画の原点。
画面をパレットナイフで傷つけた。

ムンク晩年の大作で壁画の最高傑作。
人間の闇の部分をみつづけたムンクの晩年の作はこんなに明るい。
キルヒナー
エルンスト・ルートヴィヒ・キルヒナー 1880年〜1938年 ドイツ ドイツ表現主義
ドイツ表現主義の代表的画家。
世界大戦の不安や都市の孤独を表現したが、ナチスからは堕落した「退廃芸術」であるとされ、後に拳銃自殺によりこの世を去った。

カンディンスキー
ワシリー・カンディンスキー 1866年〜1944年 ロシア、ドイツ、フランス 表現主義・抽象主義
抽象絵画の創始者ともいわれる音楽の画家。
表現主義の画家たちの集まり「青騎士」を結成した。
目に見えない抽象概念を表現するために目に見える物を描く必要はない、として抽象絵画を描いた。
音楽を絵画で表現した画家としても有名。

分離派
ウィーン、ベルリン、ミュンヘンでは、アール・ヌーヴォーの影響を受け、今までの芸術から分離し生活と結びついた新しい造形を目指す分離派が活動しました。
特にウィーン分離派からは、グスタフ・クリムト、オットー・ワーグナー、エゴン・シーレなどが排出されました。
クリムト
グスタフ・クリムト 1862年〜1918年 オーストリア帝国 ウィーン分離派
クリムトは、金色で絢爛豪華の女性画で有名なウィーンの画家。
日本文化に傾倒したクリムトは、浮世絵や琳派の影響を受け、金箔を用い平面的ながらも官能的でエロティックな作品を多く描いた。
象徴主義を進化させアール・ヌーヴォーの装飾性を取り入れたウィーン分離派の代表者。

クリムトの代表作。
崖っぷちの花園で抱き合う男女。
男性の衣服にある長方形は男性器、女性の衣服の丸は女性器を暗示していて、さらに崖っぷちは不安定さをあらわしている。
エゴン・シーレ
エゴン・シーレ 1890年〜1918年 オーストリア ウィーン分離派、表現主義
クリムトの弟子でありながら、象徴主義や表現主義に学び独自の表現を追求した。
ねじれた自画像や少女の性をテーマにした作品を描くが、28歳の若さでスペイン風邪により亡くなった。

