ロマン主義
ロマン主義とは、18世紀末から19世紀前半にヨーロッパ全体で流行した運動です。
1789年のフランス革命後、ナポレオンは破竹の進撃を続け、1806年には神聖ローマ帝国を滅ぼしヨーロッパ中を侵略しました。のち1812年にロシア遠征に敗れ失脚しましたが、その後もフランスは激動の時代が続きました。
また、ナポレオン侵略によりヨーロッパ諸民族は身族意識を高めました。
このような時代の中で、市民層を中心とした画家たちは、同時代の現実を画家個人の内面を通して描き、過去よりも現在、理性よりも感情、普遍性よりも民族性を重視し、古典主義とは真っ向から対立しました。
ロマン主義の絵画の特徴はデッサンよりも色彩を重視しますが、ロマン主義はある特定の様式を規定するものではないため、多様な様式で描かれます。
ただし、ロマン主義絵画に多い特徴は、勢いのある筆致と強烈な色彩、躍動感のある構成です。
神話や聖書などの美しい世界・美しい物を美しく描くことが芸術であり理想的な美はひとつであるとしていた古典を脱却し、画家の感性や主観が重要でありそれぞれ美しいとする、現代に通じる芸術が芽生えたのも特徴です。
ちなみに「ロマン」とは、共通語・文語としてのラテン語ではなく、各民族がその時代ごとに個人的な感情を語る口語をロマンス語といったことに由来します。
西洋思想史上でも、聖書と神の教えがこの世のすべてであるとした時代から、科学と理性と合理主義の時代になった啓蒙主義の時代に対して、やかり目に見えるものだけではなく感情や主観などの見えないものも重要であるとして、啓蒙主義に対するものとしてロマン主義があらわれました。
絵画以外のロマン主義では、文学分野で、ヴィクトル・ユーゴー、ジョルジュ・サンド、ジョージ・ゴードン・バイロン、ジョン・キーツ、ノヴァーリスら、
音楽分野で、ベルリオーズ、リスト、ショパン
歌劇ではワーグナーが有名です。
ドラクロワ
ウジェーヌ・ドラクロワ 1798年〜1863年 フランス ロマン主義
フランス革命後の激動のヨーロッパを激情のままに描いたフランス・ロマン主義を代表する画家。
ロマン主義の旗手として新古典主義の巨匠アングルと対立した。

1822年に、オスマン帝国からの独立を目指す独立派を、ギリシアのキオス島で徳軍兵士が虐殺した場面を描くドラクロワの代表作のひとつ。
現実の出来事を強烈に描くフランス・ロマン主義の嚆矢となったともいえる作品。
ギリシアは「ギリシャ独立戦争」を経て1832年に独立を果たした。

ロマン主義絵画として最も有名な絵画。
1830年のフランス七月革命の様子を描くドラクロワの代表作。
七月革命とは、1815年に復古した王政の弾圧に対する市民革命のひとつ。
33歳だったドラクロワは戦闘に参加しなかったが、武器の代わりに筆を取りこの絵を描いた。
ちなみに、作曲家ベルリオーズも27歳でこの革命に参加していた。
中央でフランス国旗を掲げる女性は自由を擬人化した自由の女神。
隣で二丁拳銃を掲げる少年はのちに「レ・ミゼラブル」のガヴローシュ少年のモデルになったとされる。
左の帽子の男性はドラクロワ自身であるといわれている。

1832年にモロッコを訪れたドラクロワは、フランスとは違うオリエンタル文化に衝撃を受け、作風とくに色彩表現が変化した。
ジェリコー
テオドール・ジェリコー 1791年〜1824年 フランス ロマン主義
ドラクロワらに大きな影響を与えたロマン主義の先駆者。
32歳で「まだ、何もしていない」と言い残して死去したが、絵画史に残した功績は大きい。

実際に起きた事件を描いたジェリコーの代表作。
フランス海軍のメデューズ号が難破した際、艦長ら指揮艦が真っ先に脱出、残された船員は急造した筏で13日間漂流し100名以上が死亡、生き残った15名が水平線の先に船を見つけた状況を描いた。
ジェリコーは生存した船員に話を聞き、筏の模型を作り、死体安置所で死体をデッサンして、この作品を描いた。
ゴヤ
フランシスコ・デ・ゴヤ 1746年〜1828年 スペイン ロマン主義
ナポレオン戦争のさなかに活躍したスペイン最高の宮廷画家。
46歳で聴力を失うが精力的に活動を続け、代表作の多くはそのあと描かれた。
肖像画では人間の心を描き、国王であっても美化せず内面を描き出した。

ゴヤが仕えた国王一家の集団肖像画。
中心に立つのが国王ではなく王妃であったり、性格の悪さがにじみ出ているような王妃マリア・ルイザ、賢そうには見えない国王カルロス4世など、王族の肖像画として従来ではありえない仕上がりとなっている。
これをみた国王は「そっくりだ」と喜んだというが、後に左の青い人物・フェルナンド王子に追放される。

本作とまったく同じ構図の裸婦像『裸のマハ』とあわせて、2枚1組でゴヤの代表作。
モデルは不明。
2枚1組で衣服を脱がすことが連想され、さらに女性の陰毛を初めて描いた作品ともいわれ問題となり、100年弱の間プラド美術館の地下で眠ることとなった。


ゴヤは晩年、別荘を飾る壁画群を描き、人間の残虐性を描いたこのシリーズは「黒い絵」と呼ばれている。
本作は「黒い絵」で最も有名な作品。
ローマ神話の農耕神サトゥルヌス(ギリシャ神話ではクロノス)が、自分の子に殺されるという予言を聞き、5人の我が子を飲み込んだという神話を描く。

ウィリアム・ターナー
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー 1775年〜1851年 イギリス・ロマン主義
印象派を先駆けたかのようなイギリスの風景画家
風景をそのまま描くのではなく、その風景を構成する大気・水・光を描いたイギリス・ロマン主義の代表的な画家。
2020年のイギリスの新紙幣では、20ポンド札のデザインにターナーと「戦艦テレメール号」が選ばれている。

ターナーの代表作のひとつ。
ロマン主義の時代の側面でもある産業革命。蒸気機関車がテームズ側を渡ってくる様子を描く。

ナポレオンの侵略を阻止したトラファルガー海戦で活躍した英雄の戦艦が、解体されるために小さなタグボートに曳かれていく場面。
時代遅れとなり引退する巨大な帆船と、それを引っ張る新時代の蒸気船タグボートを対照的に描いた。
印象的な夕陽はひとつの時代の終わりを象徴している。
2005年のイギリス国内の一般投票で「最も偉大なイギリス絵画」に選ばれた絵画。

C.D.フリードリヒ
カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ 1774年〜1840年 ドイツ・ロマン主義
大自然を描きながら作品に信仰心や愛国心を込めたドイツ・ロマン主義の代表的画家。
10人兄弟の6番目として生まれるが、少年期に母を亡くし、カスパーが13歳のときには氷の海で溺れる自分を助けるために弟ヨハンが亡くなっている。その後も姉と妹を亡くし、内向的な人物に育った。
フランス革命から続く激動の時代に生き、ナポレオンによる祖国の侵略も経験した。
これらの経験と信仰心からか、一見風景画であっても静謐さに満ちた作品が多い。

大自然と人間の対比を描く。
背中を向けている人物はなにもしておらず、ただ大自然を眺めているが、カスパーの作品に多い構図で、鑑賞者が同じ視点に入り込み対象物をともに見つめる構図となる。
夕暮れはひとつの時代が終わるとともに新しい未来を暗示している。
愛国心をあらわすドイツ古装束をまとうこの人物も、ナポレオン支配を脱したドイツの未来をみつめているのかもしれない。

この作品が描かれたウィーン体制下のドイツは、ナショナリズムが抑圧されカスパーのような愛国者にはつらい時代でもあった。
巨大な氷の層と難破船が描かれていて、大自然の前の人造物の儚さを描いているようにもみえる。
また氷の海はカスパーの弟が死んだ海でもあり、カスパーが多く描いた作品のひとつでもある。