西洋近代絵画「写実主義・ラファエル前派」 概要
ロマン主義により西洋絵画は同時代の現実を題材として描くようになりました。
この同時代性がさらに深まり、現実を美化せずありのまま、まるで社会派ドキュメンタリーのように描かれたのが写実主義で、1850年頃からフランスを中心に活動しました。
同じころイギリスは、世界中に植民地を持つ巨大な帝国となり世界の警察と君臨した「パクス・ブリタニカ」時代を迎えます。イギリスの若き画家たちは、アカデミーが規範としてきたルネサンスの巨匠ラファエロではなくラファエロより前、ルネサンス以前または初期ルネサンスを理想の芸術とするラファエロ前派が活動します。聖書や神話、文学などのほか、同時代の現実もテーマに現実をありのままに描きました。
1800年頃〜 | ロマン主義 ↓ | 新古典主義 ↓ |
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写実主義 ラファエル前派 ↓ | 象徴主義 ↓ | |
印象主義 ↓ | ↓ | |
新印象主義 ↓ | ↓ | |
ポスト印象主義 ↓ | ||
1900年頃〜 | キュビスム ↓ | フォーヴィスム ↓ |
抽象主義 ↓ | 表現主義 ↓ | |
ダダイスム ↓ | シュルレアリスム ↓ | |
コンセプチュアル・アート | 抽象表現主義 |
写実主義
1850年頃のフランスを中心に、同時代の現実を美化せずありのままに描いたのが写実主義です。ロマン主義にあるような画家の内面性や主観は排除され、見たままの風景や農民の暮らしを描きました。
1848年にはカール・マルクスが『共産党宣言』を著し、フランスにも共産主義者が現れた時代。
1830年の七月革命により復活していた王政(オルレアン朝)を打倒した1848年の二月革命により、フランスには民衆の時代が訪れてた。この二月革命は、ブルジョワジーが主体であったフランス革命(1789年)や七月革命とは異なり、労働者階級であるプロレタリアート革命であったため、国民たちが主体となる共和制が成立した。
絵画の世界でも王侯貴族や神話の人物ではなく労働者や農民などが題材として選ばれ、彼らの暮らしを見たまま写実的に描いた。
バルビゾン派
写実主義の中でも有名な一派が、1830年頃から1870年頃にフランスで活動した「バルビゾン派」。
産業革命により近代化されてゆく社会のなかで、農村の風景と農民の暮らしに憧れた都会の芸術家たちは、パリ郊外、フォンテーヌブローの森近くのバルビゾン村に移住し、思うままに芸術活動をおこないました。
それまでの風景画は現実よりも構図を優先して描かれていましたが、バルビゾン派の画方たちは現実の自然をありのままに描く風景画を描き、後の印象派に大きな影響を与えました。
代表者はミレー、コロー、ルソー。
ギュスターヴ・クールベ
ギュスターヴ・クールベ 1819年〜1877年 パリ 写実主義
写実主義の代表者で、史上初めて個展を開いた19世紀フランスの画家。
聖人や王侯貴族など高貴な人を理想化して描くという当時の常識に反し、一般庶民を高貴な人と同じように描き、写実主義の嚆矢となった絵画『オルナンの埋葬』は、当時の権威あるサロンから酷評されました。
しかしクールベは自身の写実主義を貫き、1855年のパリ万博に『画家のアトリエ』を含む3作が落選したことに抗議し、パリ万博会場の前で個展を開きました。晩年には政治活動で投獄され、後にスイスに亡命しフランスを離れる。
クールベは己の理想とする絵画を追求し、権威と戦い続けました。
クールベはバルビゾン派ではありませんが、バルビゾン派の画家との交流もありました。
ジャン=フランソワ・ミレー
ジャン=フランソワ・ミレー 1814年〜1875年 フランス 写実主義(バルビゾン派)
バルビゾン派の代表的な画家のひとりで、代表作『落穂拾い』はあまりにも有名。
農民画家と呼ばれたとおり、貧しいながらも気高く生きる農民の生活を描いた。
ミレーの作品は静謐さに溢れ、とくにプロテスタントに好まれる作風であった。
カミーユ・コロー
ジャン=バティスト・カミーユ・コロー 1796年〜1875年 フランス 写実主義(バルビゾン派)
『真珠の女』が有名だが、農村の風景を描き続けたバルビゾン派の風景画家で、写実主義に風景画を確立させた。
春夏はヨーロッパ各地を旅してスケッチをおこない、冬にはアトリエにこもって作品を仕上げる制作活動を続けた。