西洋絵画の基礎知識02 古代から中世「ビザンティン美術、ロマネスク、ゴシック 」
西洋古代芸術からビザンティン美術、ロマネスク、ゴシックの基礎知識がわかりやすい。大人として知っておきたい教養、名画・西洋絵画の基礎知識。
西洋絵画史 古代から中世の概要
西洋絵画に限らず、芸術と宗教は密接に関わっています。
とくに近世に入る前、古代から中世の芸術・美術はイコール宗教美術と言っても過言ではありません。
西洋絵画も例外ではなく、多くは神話かキリスト教の宗教画です。
この記事では、古代から中世の西洋美術の流れをみていきます。
紀元前 | 古代ギリシャ | |
---|---|---|
紀元前 〜5世紀頃 | 古代ローマ | |
1000年頃〜 | ロマネスク ↓ ゴシック ↓ |
西洋古代芸術
人類は、1万年以上前から絵を描いていました。
フランスのラスコーやスペインのアルタミラなどで、洞窟内の壁画に描かれた彩色絵画が遺されています。
そして、紀元前3000年頃になると文明が発達して、同時に芸術も発展します。
古代エジプトでは『死者の書』のように神々の姿が描かれるようになります。さらにアマルナ美術と呼ばれる神ではなく人を写実的にを描く芸術も始まり、古代ギリシャ美術に影響を与え西洋美術の源泉となりました。
紀元前900年頃から紀元少し前くらいまでは古代ギリシャ文明の時代で、さまざまな建築・陶器・彫刻が作られました。
有名な『ミロのヴィーナス』『サモトラケのニケ』も古代ギリシャの「ヘレニズム期」の作品です。
ローマが地中海を制覇する頃になるとギリシャの芸術がローマにもたらされ、ローマ美術として興隆を極めます。
ポンペイの発掘により、ローマ美術は多くの絵画や美術品が非常によい状態で遺されています。
※ポンペイとは:現在のイタリアのナポリ近郊にあった古代都市。西暦79年、ヴェスヴィオ火山の噴火による火砕流に飲み込まれ、一瞬にして火山灰等により地中に埋もれることで、そのままの状態で保存されることとなった。
西洋中世絵画
ビザンティン美術(ビザンツ美術)
ローマ帝国は次第に衰退し、東西に分裂します。
いわゆる「西洋絵画」では西ローマがメインとなりますが、東ローマ(ビザンティン)とその周辺では東方の要素を含むモザイク画やイコンが発展しました。
東ローマ滅亡後は、東ローマを滅ぼしたイスラム芸術に大きな影響を及ぼしました。また正教会にも影響を与え、現在まで繋がります。
モザイク:ガラス片や石片を漆喰に埋め込むことで図柄を描く手法。
イコン:キリスト教の礼拝用の絵画。聖母子像や聖人像が多い。8世紀には偶像崇拝が禁止され、抽象的になっていくが、後に写実的な作品もつくられていく。
ロマネスク
西ヨーロッパでは、西ローマ帝国が476年に滅亡し、民族大移動による混乱期が訪れ芸術をおこなう余裕もなく西洋美術も衰退していきます。
のちにゲルマン民族がキリスト教に改宗し、十字軍遠征により巡礼者が増えたことで、キリスト教美術として西洋美術が復活していきます。
ロマネスク様式は主に修道院建築として発展し、修道院や教会内に布教目的としての聖人画やフレスコ画が描かれるようになります。
ロマネスクでは、神やキリストの非人間性・神秘性を示すため、極力写実的ではなく、平面的・形式的に描かれました。
フレスコ画:壁に漆喰を塗り、漆喰がまだ生乾き(新鮮=フレスコ)であるうちに、水や石灰水で溶いた顔料で描く。漆喰が乾く前に仕上げる必要があるうえにやり直しができないが、乾いてしまえば水にもにじまず長期保存ができる。
ゴシック
12世紀、フランスのサン・ドニ修道院聖堂の改築によってスタートしたのがゴシック建築・ゴシック様式・ゴシック美術です。
ゴシックは「ゴート人の」という意味があり、ゴート人であるゲルマン民族とキリスト教の融合により生まれました。広い意味では、「中世的・中世風」という意味でも使われます。
ゴシック建築は高くそびえ立つ尖塔やステンドグラスが特徴的で、テンペラ画が多く描かれ、写実的になりました。
テンペラ画:卵を固着剤として顔料を溶き描く絵画。卵ではなく膠なども使う。経年劣化が少ない。油絵の登場により衰退。
ゴシックは主に教会や王侯貴族が注文主となりました。
聖書の写本にも装飾を施されたり、絵画の織物「タピスリー」も制作され、絢爛豪華な美術が流行します。
12世紀頃には教会の権力が頂点になり大聖堂の建築がブームとなります。
その後教会の権力が失墜し、王侯貴族の時代となり城郭建築に力をいれていきます。
『受胎告知』とは
『受胎告知』とは、詳しく解説。聖母マリアが救世主キリストを懐胎したことを告げる大天使ガブリエル