西洋絵画の基礎知識04 西近世絵画「盛期ルネサンス」
西洋近世絵画、いわゆるルネサンスの盛期ルネサンスがわかりやすい。大人として知っておきたい教養、名画・西洋絵画の基礎知識。
伊藤美琴
アートディレクター。西洋美術、音楽専門のライター。
ルネサンス年表
1200年頃〜 | 国際ゴシック ↓ | 初期ルネサンス ↓ |
1400年頃〜 | 北方ルネサンス ↓ |
1450年頃〜 | 盛期ルネサンス ↓ |
1550年頃〜 | マニエリスム ↓ |
盛期ルネサンス(フィレンツェ派)
初期ルネサンス期のイタリアでは、フィレンツェ共和国、ヴェネツィア共和国、ミラノ公国、ナポリ王国、ローマ教皇領の五大国がしのぎを削っていたが、1453年、東ローマ帝国がオスマン帝国に滅ぼされると、危機感を感じたイタリア諸都市国家は、翌1454年にローディに集結して和議を結んだ。この「ローディの和」により、イタリアにしばしの平和が訪れ、ルネサンスは最盛期を迎える。
その後、宗教改革や神聖ローマ帝国によるローマの破壊により衰退していくまでを、盛期ルネサンスという。
ボッティチェリ
サンドロ・ボッティチェリ 1445年〜1510年 フィレンツェ
ルネサンスを代表する画家。
フィリッポ・リッピの工房で修行後、ヴェロッキオの助手となったのち独立。
教会ではなく世俗の君主であるフィレンツェのメディチ家の当主ロレンツォがパトロンとなったため、聖書ではなくギリシャ神話の神々を描くことができた。
ボッティチェリ以降、キリスト教ではない絵画が描かれるようになっていく。
タブーであった異教の神を描くとともに、さらにタブーであった裸体像を描き、教会や既存の倫理に縛られない自由な美を追究するきっかけとなった。
日本に所蔵されているボッティチェリ作品は『美しきシモネッタの肖像』(丸紅コレクション所蔵)1点のみ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ 1452年〜1519年 フィレンツェ
フィレンツェ、ローマ、ミラノのほかフランスでも活動したルネサンス三大巨匠のひとり。
『モナ・リザ』であまりにも有名。
芸術だけではなく、軍事、解剖学、天文学、博物学、音楽、建築、エンタテインメントなど、人類史上最も多彩な「万能の天才」。
現在はダ・ヴィンチと呼ばれることが多いが、「レオナルド・ダ・ヴィンチ」は「ヴィンチ村のレオナルド」という意味なので「レオナルド」と名前で呼んだほうが適切。
ヴェロッキオの工房で学び独立。
現在では最も有名な芸術家であるが、当時はルネサンス三大巨匠の残りふたり、ミケランジェロとラファエロのように超売れっ子ではなく、名声が高まったのは19世紀に入ってから。
非常に多才で芸術家というよりも研究者といった側面が強く、新たな技法の研究開発や科学に関する手稿に時間を取り、また作品には何度も手を加えるため未完成の作品が多い。
現存する絵画作品は15点程度と少ない。
ミケランジェロ
ミケランジェロ・ブオナローティ 1475年〜1564年 フィレンツェ
ルネサンス三大巨匠のひとりで、彫刻家としての肉体表現を絵画に持ち込み、次の時代マニエリスムの基礎となった人物。彫刻家・画家・建築家・詩人として活躍した西洋美術史上最高の芸術家のひとり。
13歳でドメニコ・ギルランダイオに彫刻家として弟子入りし、14歳で一人前の画家として認められ、若くして才能を発揮し一躍人気芸術家となる。
ラファエロ
ラファエロ・サンツィオ 1483年〜1520年 ウルビーノ
画聖とも呼ばれる西洋近代絵画の模範となったルネサンス三大巨匠のひとり。
ペルジーノの弟子で、若い頃からフィレンツェやローマで活躍した。
師のペルジーノだけではなく、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロから多くを学び吸収し自分の画風を築いた。
ローマ教皇に重用され宗教画を多く描いた。
過度な情事による熱病により37歳で亡くなったが、過労死だったという説もある。