【国宝仏像】弘法大師坐像(康勝作)【東寺】の解説と写真

木造弘法大師坐像〈康勝作/(御影堂安置)〉(もくぞうこうぼうだいしざぞう) 分類 国宝 ジャンル 美術品・彫刻 時代 鎌倉1233年 構造・形式等 木造 国宝指定年月日 2000年06月27日 所有者 宗教法人教王護国寺 […]

木造弘法大師坐像〈康勝作/(御影堂安置)〉(もくぞうこうぼうだいしざぞう)

分類 国宝
ジャンル 美術品・彫刻
時代 鎌倉
1233年
構造・形式等 木造
国宝指定年月日 2000年06月27日
所有者 宗教法人教王護国寺
安置場所 東寺(教王護国寺)御影堂
所在・エリア 京都洛中
ホームページ http://www.toji.or.jp/

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文化庁 国指定文化財等データベースより抜粋

 当寺西院御影堂【みえいどう】の本尊で、左手膝上で掌を仰ぎ念珠(水晶製・後補)を、右手屈臂して胸前で五鈷杵(木製)を執り、椅子(後補)に坐すいわゆる真如親王様【しんにょしんのうよう】の弘法大師像である。
 ヒノキ材の寄木造で、頭躰幹部は左右二材よりなり、内刳のうえ割首する。面部を割矧ぎ玉眼を嵌入する。躰部背面に板材(左右二材)を当て、両躰側部、両脚部に各一材を矧ぐ。裙先および袈裟の体部周囲への広がり部に数材を矧ぎまわす。像底地付から最大一三・二センチメートルの高さの位置に棚状の刳り残しを作る。X線透過写真から像内面相部中央および腹部中央に巻子が縦に取り付けられているのが判明する。表面は、錆下地、彩色仕上げとするが、現状は黒漆地を表している。五鈷杵は左右二材製、漆箔仕上げになる。
 弘法大師像の作例は、文献によれば平安時代前期からあったことが知られるが、平安後期以降大師信仰の急速な高まりにともない、大師像の造立が徐々にみられ始める。この趨勢を受けて教王護国寺では、大師四百回忌を翌年に控えた天福元年(一二三三)、親厳僧正【しんごんそうじょう】により大師像の造立が企てられた。この像の安置された西院北面は御影堂と称され、西院御影供の大衆的広まりとともに大師信仰の中心地となり、一方本像は、後世数多く作られる大師像の根本となる。
 『東宝記』第三(西院)によれば、本像は、天福元年(一二三三)十月十五日、親厳僧正の寺務のときに安置され、作者については仏師康勝【こうしょう】法眼とある。また東寺百合文書の「教王護国寺西院御影供始行事」(甲号外一八号(4))に、この像は当初は西院不動堂南面妻戸の内に安置され、のち延応二年(一二四〇)に北面に移されたとある。この文書には康勝作と明記されており、同時代の文献なので作者の比定は間違いないであろう。彼が造立担当仏師に抜擢された背景には、嘉禄三年(一二二七)東寺大仏師となった兄湛慶【たんけい】(随心院文書)の推薦を思わせる。康勝は運慶の第四子で、建久年間(一一九〇-九九年)に当寺南大門金剛力士像と中門二天像の造立に兄弟たちと携わったこと(『東宝記』)を文献上の初見とし、嘉禎三年(一二三七)以前に没する(東大寺地蔵堂地蔵菩薩像銘)まで、京都・奈良の大寺の造像に関わっている。現存作例として、本像の他に、法隆寺金堂阿弥陀如来像(一二三二年)、六波羅蜜寺空也上人像がある。
 「真如親王様」といわれる弘法大師像と比べて、形式的にはよくそれを踏襲しながらも、顔を正面させることで本尊としての威厳を示し、面貌や衣文は大づかみな肉取りにより現実感を与えている。写実はややもすれば通俗に陥る危険もあるのだが、本像のこのような表現は、一面では弘法大師の生身信仰に基づく現実性の付与かとも思わせる。より本質的には、歴史的人物の肖像としての存在感を前面に出したためと考えられ、また同時に、運慶以降の仏師世代の採りうべき作風をも予見しているかのようである。克明なリアリズムを身上とする、同時代者の肖像とは同日に論じられない所以である。それ故に、後世の造像の規範となった原本としての意義はきわめて大きく、肖像彫刻としてのみならず、運慶次世代の仏師の代表作として、その価値は非常に高いものと考えられる。
※出典:国指定文化財等データベース(http://www.mext.go.jp/

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弘法大師坐像の写真


※ Japanese Temples and their Treasures, Vol.2, 1910 (Shimbi Shoin)(保護期間満了)

弘法大師坐像安置場所の地図