特集:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ年表

特集:カスパー・ダーヴィト・フリードリヒ年表

ドイツロマン派の画家カスパー・ダーヴィト・フリードリヒの生涯関連年表。

フリードリヒ関連年表

1774年 誕生
フリードリヒ、1774年9月5日、スウェーデン領フォアポメルンのグライフスヴァルトに生まれる。
父ア一ドルフ・ゴットリープ(1809年死去)
母ゾフィー・ドロテア(1781年死去)
姉カタリーナ(1766年)
姉マリーア(1768年)
兄ア一ドルフ(1770年)
兄ヨーハン・ダヴイツト(1772年、同年死去)
兄ヨハネス(1773生)
1775年 1歳
弟クリストファー誕生。
1776年
★デイビット・ヒューム死去
1777年 3歳
弟ハインリヒ誕生。
1779年 5歳
弟クリスチャン誕生。
1780年 6歳
妹エリーザベト誕生。
1781年 7歳
母ゾフィー・ドロテア死去。

★カント『純粋理性批判』

1782年 8歳
妹エリーザベト死去。
1787年 13歳
12月8日、弟ヨハン・クリストファー、溺れるカスパーを肋けて溺死。
1789年
★フランス革命
1790年 16歳
グライフスヴァルト大学教師の建築家ヨーハン・ゴットフリート・クヴィストルプから、デッサンを習い始める。
1791年 17歳
姉マリーア、死去。
姉カタリーナ、ノイブランデンブルクの牧師シュボンホルツと結婚。
1794年 20歳
コペンハーゲンの美術アカデミーに入学。
1798年 24歳
ベルリンに一時滞在し、ドレスデンに移住、美術アカデミーに在籍。
1799年 25歳
ドレスデン美術アカデミー展に初出品。
ザクセン・スイスに旅行。

★ナポレオン台頭。
★第2次対仏同盟戦争(〜1802年)

1801年 27歳
春から翌年まで帰郷。
リューゲン島旅行。

★ナポレオンによるドイツ諸国の再編成(〜1806年)。

1802年 28歳
リューゲン島旅行。
1803年 29歳
ボヘミア旅行。
1805年 31歳
ゲーテの主催するワイマールの美術展に課題外のセピア2点を出品し受賞。

★第3次対仏同盟戦争、オーストリア大敗。

1806年 32歳
リューゲン島旅行。

★ザクセン、ナポレオンに敗れる。
★第4次対仏同盟戦争(〜1807年)でプロイセン崩壊。
★皇帝退位により神聖ローマ帝国滅亡。
★西南ドイツに親仏のライン同盟発足。

1807年 33歳
ボヘミア旅行。
◎油彩を始める。

★ナポレオンのドレスデン滞在。

1808年 34歳
ボヘミア旅行。
テッチェンの祭壇画。ラムドーア論争

★ゲーテ『ファウスト』第1部。

1809年 35歳
ラムドーア論争。
兄ア一ドルフの第4子ブスタフ・アドルフの代父となる。
父ア一ドルフ・ゴットリープ死去。

★第5次対仏同盟戦争、オーストリア、敗北により親仏政策に。

1810年 36歳
画家ケルスティングとリーゼンゲビルゲ旅行。
シュライブマッハーが訪問。
ゲーテが訪問。
ベルリン美術アカデミの在外会員となる。
1811年 37歳
彫刻家キューンとハルツ旅行。
ゲーテを訪問。
弟ハイリヒの第3子カール・ハインリヒ・ヴイルヘルムの代父となる。
1812年
★グリム童話
1813年 39歳
ザクセンスイスのクリッペンに疎開。

★ナポレオンの最後のドレスデン滞在。

★ナポレオンに対する解放戦争(〜1814年)。
○カール・フリ−ドリヒ・シンケル『水辺のゴシック大聖堂』(〜1814年)。

1814年 40歳
弟クリスチャンの第1子マリー・カロリーネ・ルイーゼの代父となる。

★ウィーン会議(〜1815年)。

1815年 41歳
リューゲン島旅行。

★ドイツ連邦発足。
★オーストリア・プロイセン、ロシアの神聖同盟発足。

1816年 42歳
ドレスデン美術アカデミー会員となる。
1818年 44歳
弟子ヴィルヘルム・ボマーの姉カロリーネ(1793年)と結婚。
リューゲン島、シュトラールズント旅行。
1819年 45歳
デンマーク王子クリスチャン・フレデリックが訪問。
長女エマ・ヨハナ誕生。

★カールスパート決議により、検閲など社会の抑圧が高まる。
★ドレスデン美術アカデミーで「古ドイツ風」の服装が禁止。

1820年 46歳
後のロシア皇帝ニコライ1世と詩人ジューコフスキー訪問。
画家コルネリウスが訪問
1823年 49歳
ダール一家とともにエルベ河畔の同じ建物に引っ越す。
次女アグネス・アーデルハイト誕生。
1824年 50歳
ダールとともにドレスデン美術アカデミー員外教授となる。
長男グスタフ・ア一ドルフ誕生(後に画家となる)。
1826年 52歳
湯治のためリューゲン島に滞在。
1827年 53歳
ダールの第4子ジークヴァルト・ヨハネスの代父となる。
1828年 54歳
ザクセン美術協会会員となる。
1830年 56歳
プロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルムが訪問。
ドレスデンで起こった市民暴動に共感。

★フランス七月革命の余波広がる。
★ワルシャワ蜂起。

1834年 60歳

★弾圧強化。
★パリに「ドイツ亡命者協会」設立。

1835年 61歳
脳出血の発作で手足が麻痺、不自由になる。
テブリッツで湯治。
1838年 64歳
兄アードルフ死去。
長女エマ、クリューガーと結婚。
1840年 66歳
5月7日死去。
ドレスデンの三位一体教会墓地に埋葬される。
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