【重文仏像】楊貴妃観音【泉涌寺】の解説
木造観音菩薩坐像(もくぞうかんのんぼさつざぞう) 分類 重要文化財 ジャンル 美術品・彫刻 時代 中国南宋 構造・形式等 木造 国宝指定年月日 ー 所有者 泉涌寺 安置場所 泉涌寺楊貴妃観音堂 所在・エリア 京都洛東 ホ […]
木造観音菩薩坐像(もくぞうかんのんぼさつざぞう)
分類 | 重要文化財 |
---|---|
ジャンル | 美術品・彫刻 |
時代 | 中国南宋 |
構造・形式等 | 木造 |
国宝指定年月日 | ー |
所有者 | 泉涌寺 |
安置場所 | 泉涌寺楊貴妃観音堂 |
所在・エリア | 京都洛東 |
ホームページ | http://www.mitera.org/youkihi.php |
美しい表情から、玄宗皇帝が楊貴妃に似せて造像したともいわれ、楊貴妃観音と呼ばれる。
小さな観音堂の中に安置されている美しい姿をみることができる。
文化庁 国指定文化財等データベースより抜粋
泉涌寺【せんにゆうじ】観音堂の本尊で、「楊貴妃【ようきひ】観音」の名で広く親しまれている等身大の観音像である。大型の山形透彫宝冠を戴き、ともに白色の内衣と両肩と両袖を覆う上衣を纏って、両手で華茎を執って坐している。
日本の木彫像にはみられない白く堅密な材を用い、頭躰を別材から彫出し、頭部は前後三材矧ぎにして頭髪に練物を盛り上げ塑形する。躰部は数材を箱組状に組み付け、これに両躰側材・両足部を矧いでいる。宝冠や胸飾、持物は当初のもので、本体表面の彩色の保存状態もよく、直線的な幾何学文を中心に構成された着衣の切金文様等もよく残り、当初の姿をよくとどめている。
南宋請来の寺伝があるように、長大で肉厚な耳朶を付した、目尻の上がった切れ長の目と鼻梁の長い大きな鼻でつくる面長の顔立ちには一種のなまめかしさが認められ、一見してわが国の仏像とは異相を表している。頭部を前に差し出して少し猫背気味で奥行の深い側面観や、概念的に簡略化された躰躯の肉取りと着衣の表現、内衣の腹部に刻まれた渦文状の衣文表現、あるいは頭髪や垂髪、装身具の塑形に練物を多用する表現は、南宋時代の作とみられる神奈川・清雲寺観音菩薩坐像に非常に近似しており、本像は寺伝どおり中国南宋時代に製作された木彫像とみて誤りなかろう。
その伝来について確証のある記録は知られてはいないものの、本像の請来者として、俊〓【しゆんじよう】の弟子の湛海【たんかい】の名が指摘されており、南宋慶元府の白蓮寺から仏牙舎利を日本に請来した湛海によりもたらされた可能性も考慮すべきで、彼の二度目の入宋の帰国年、建長七年(一二五五)はその製作の下限の目安となろう。鎌倉時代には、このような僧侶らによる宋代文化の受容が盛んとなり、京都におけるこうした潮流の中心となっていた泉涌寺に請来された本像は、その実情を如実に示す好例といえる。
韋駄天と、月蓋長者と伝えられる二像は、現在舎利殿の舎利宝塔の左右に安置され、その面貌や用材、髪や甲の飾りなどの細部の造形に練物を多用することなどは、観音菩薩像と共通し、同じころ南宋で製作されたとみられる。
※出典:国指定文化財等データベース(http://www.mext.go.jp/)