クローンは人権がないとか、クローンは特別な人間、特別なことをさせる、これらすべて議論をすること自体がナンセンスです。
というナンセンスな議論を少しだけします。
以下、単に「人間」と書いた場合には、「クローン人間」ではない人間のことを指します。
まず初めにクローン人間を定義します。
「クローン人間」とは、クローン元の人間とまったく同じDNAをもつ人間です。
クローン人間をつくるための技術については云々しません。
髪の毛からDNAを抽出しようが、未受精卵に自分のDNAを「受精」させようが、人為的に100%同一なDNAの人間をつくりだす技術であればクローン技術であるとします。
似た状況に一卵性双生児がありますが、こちらは自然現象でありますのでクローンではありません。
また、完全な個体を構成していることを前提とします。
クローン技術により心臓だけをつくったり、皮膚だけをつくることは議論の対象外とします。
対象はあくまでも、個体である「クローン人間」です。
次に、クローンであろうが、ヒト胚から細胞分裂を繰り返し成熟し分娩により出生するという事実に変わりはありません。
現在のところ人工子宮は存在せず、人間である母親の胎内で成長することしかできません。
SFのように、急激な成長を施しほぼ同じ年齢のクローンをつくるということは不可能です。
※人工子宮が完成し、SFの世界のように培養槽で成長したとしても結論に違いはありませんが。
60歳の人間のDNAでクローン人間をつくっても、出生時には0歳であり、クローンではない人間と同じ成長速度でしか成長しません。
そもそも人権とはなにか
人権とは、人間が人間であるというただそれだけの理由でもっている権利のことです。
今からおよそ70年前、1948年の「世界人権宣言」第1条には「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」
とあります。
世界人権宣言は、宗教も文明も価値観も人種もバックグラウンドもなにもかも違う人たちが集まり議論し合意した、人類史上類を見ない宣言です。
日本はもちろん、基本的には世界中のほとんどの国がこの宣言を尊重し、自国の憲法として取り込んでいます。
つまり、「人間」でありさえすれば平等な権利をもつことになります。
ただし、現状は国家主義であり、基本的に「人権」や「人間」の定義は各国家に任されることになります。
では「人間」の定義は?
歴史を学ぶ際には基本となることですが、その当時あまりにも当たり前であったことについて、歴史書や宣言は言及しません。
「人間」の定義をした法的な文書というのはないか、あってもかなり珍しいのではないでしょうか。
「胎児や死者は人間であるのか?」ということであれば言及はありますが「人間とはなんなのか?」という言及はありません。
ホモ・サピエンスであるとか、DNAの塩基配列であるとか、そういった言及はなく、ただ当たり前に「人間」としています。
もしここに、「人間の両親の交配により懐胎した母親の胎内で成長し出生した生命体もまた人間である」という定義があれば、人工授精で生まれたら人間ではないとなりますし、クローン人間はもちろん人間ではないとなるでしょう。
ですがそのような定義はありません。
仮に、どこか未開の地で通常の人間とはかなり異なる容姿をもって生まれた子が、コミュニティ内で魔物や悪魔と呼ばれていたとしても、その子が人間であることを否定することはできないでしょう。
同じように、クローン人間を人間ではないとする根拠はありません。
クローン人間が人間ではないのであれば、試験管ベイビーも同じ扱いにしなければおかしい。
クローン人間は間違いなく人間です。
人間であれば等しい人権があるのでしょうか
先の世界人権宣言以降も、最先進国であるアメリカ内では公然と差別がおこなわれ、差別立法があたりまえのように成立していました。
日本でも平成8年まで「らい予防法」が存在し、ハンセン病患者はいわれなく人権を大きく制限されていました。
「人権」がなんであるのか、「人権」享有主体に例外があるのか、これらは各国に任されています。
ちなみに、皇族のなかでも天皇・皇太子・皇太孫は自らの意思で皇籍離脱が出来ず死ぬまで皇族です。ある意味差別されているとも言えますけど(その他の皇族は皇室会議を経て皇籍離脱が可能)。
日本国権法前文には「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」とありますが、人権という言葉はなく、「人権」がなんであるのかについて言及はありません。
権法の人権規定である第11条には「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」
と、名宛人を「人間」ではなく「国民」としています。
つまり、クローン人間が人間であると認めたとしても、クローン人間をそのほかの一般的な人間と同じように扱うのかどうかは国次第ということになります。
世界人権宣言第1条をもう一度みます。
「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」
これを分解すると
「人間」
「生まれながら」
「自由」
「尊厳」
「権利」
「平等」
という単語があります。
このそれぞれについて、解釈の仕方が多様に存在します。
「人間」については先にみました。
「生まれながら」について、日本法でも刑法と民法では扱いが異なります。
一部露出説と全部露出説。
日本法では上記のように判断が異なりますが、完全に胎内にいるときであっても堕胎罪などで若干の尊重はしていますし、遺産相続の権利は持っています。
ですが完全な人権ではありません。
さらに「出生前」は尊厳も権利も無いのか?
同じ成長具合なのに未熟児として出生すれば権利を持ち、胎内にいるときには権利はないのか?
このあたりも実務的には国の判断です。
「死後」はどうなる?
日本法では、死んだ瞬間から人間は物になりますが、「死体損壊等罪」で尊厳は与えています。
死体であっても、人間の死体はほかの死体や物体とは異なるという価値判断があることになります。
「自由」「尊厳」「権利」「平等」それぞれについても、多様な解釈や判断があります。
自由とはなにか。何の自由なのか。
尊厳とは。尊厳の具体的な内容は。
権利とはなにか。人権に含まれる権利の内容は。
平等とは何か。何の平等なのか。
さらに、自由と権利や平等が両立しないときにはどうするのか。
これらはアリストテレスの時代から現在まで、さまざまな学問分野で議論されています。
ひとことでいうと、これらの議論のことを「正義論」といいます。
正義論の各方面からみたクローン人間
功利主義者
まずは功利主義。
「最大多数の最大幸福」で有名です。
功利主義者であれば「クローン人間」であるか「人間」であるのかについて差はみいださないでしょう。
クローン人間であろうがそれ以外の人間であろうが違いはなく、社会の功利にどのように影響するのかが問題だからです。
もし、その社会ではクローン人間を奴隷のように扱うことのほうが全体の功利を増大させるのであれば、クローン人間の人権は踏みにじられるでしょう。
ですがこれはクローン人間だけではなく、例えば「黒人」「移民」「低所得者」「末っ子」などと同じです。
これはあくまでも古典的功利主義であって、ピーターシンガーであればこのような差別はもちろん許容しないでしょう。クローン人間であっても快苦の共有については人間となんら違いはなく、いかなる差別も許さないとするでしょう。
リバタリアン
リバタリアニズムを推奨する立場です。
リバタリアニズムを無理矢理日本語にすると、自由至上主義とか権利基底的な主張であると言えます。
彼らであれば、クローン人間にはこだわらないでしょう。
同様の権利があるとするのではないでしょうか。
コミュニタリアン
この分野で一般にも有名なハーバード大学サンデル教授のとる立場です。
共同体(コミュニティ)を重視するので、コミュニティ次第ではクローン人間の差別も正当であるとする可能性があるように思います。
リベラリスト
ロールズらのとる立場であれば、判断は難しい。
基本的には議論の対象を同一の国内に限っていますし、同じように正常な判断能力のある人間に限っています。
重度の知的障害者や高度な知能をもつ動物は尊重と配慮には値するとするだけで、一緒に社会の仕組みを考える仲間だとは認めません。
これらの能力を備えているクローン人間は、おそらく区別する対象とはならず人間と同様の権利をもち扱いをうけることになると思います。
さいごに
私は、クローン人間を差別・区別することを是とする理論的根拠は存在しないと考えています。
個人の努力ではいかんともしがたい理由で差別をすることは前時代に置いてきたはずです。
奴隷の生まれ、黒人の生まれ、私生児、障碍をもって生まれる、人工授精で生まれる、クローン技術で生まれる、同じことではないでしょうか。
もし差別されるとしたら。。
物心がつき、自分が他の人とは違う扱いを受けていることに気づく。
自分がなにをしたわけでもない、どのように努力をしても立場は変わらない。
クローン人間には別の扱いをしてもよいと考えている人は、他の人と同じように考え人格をもつこの人たちの臓器を無理矢理取ったり、実験体にしたりしてもよいと、本気で考えているのでしょうか。
人類が多年の努力により克服し、今なお克服するための努力を続けている「差別」。
ここにきて新たな差別を生むことを是とする論理的な根拠を聞いてみたい。
クローンについて結論は明確なので、今は「AIの人権」について妄想しています。