茶碗の種類や名称を豊富な写真で解説「茶碗鑑賞の知識:1」

茶碗の種類や名称を豊富な写真で解説「茶碗鑑賞の知識:1」

知っておくとちょっと茶碗鑑賞が楽しくなる茶碗鑑賞の知識

茶碗鑑賞の心得

茶碗を鑑賞するためには、まず茶の湯の心を知らなければならない。」とよく言われます。
ですが、そんなことはどうでもいい、とまでは言いませんが、茶の湯の心を知らなくても茶碗鑑賞を楽しむことは充分に可能です。

もちろん、知っていたほうがいいでしょう。
絵画作品でも、絵画に描かれている内容や暗示していること、画家の生涯、社会的背景を知っていればより楽しく鑑賞ができます。
ですが、知らなくても楽しめます。
茶碗も同じです。

「茶碗鑑賞のために茶の湯を知れ」というのは、権威主義と言いますか、茶碗鑑賞の世界へ新たな人が目覚めることを妨げるものです。
茶の湯を知っている人は、自然と茶碗鑑賞をします。

茶碗鑑賞はそんな肩肘張るものではなく、自分なりに楽しめばいいと思うのです。

同じように、「茶碗を手に取ってお茶を頂くことで初めて鑑賞したことになる」、とも言います。
これはさらにハードルが高すぎます。

間口はもっと広げてもいいでしょう。
はまっていけば、自然と茶の湯にも興味がでてきます。

もちろん、歴代の名椀の持ち主はみな茶の湯をたしなんでいましたが、当時は茶碗を持つ者やお茶会に招かれる者しか茶碗を鑑賞できませんでした。
今は違います。

美術館や展覧会で、天下人しか鑑賞することができなかった名椀を鑑賞できます。
イベントなどで数百円払うだけで、時価数百万円はするお茶碗でお抹茶を頂く機会もあります。

茶碗はお茶を飲むための器である、という意見には大賛成です。
国宝の茶碗であっても、たまにはお茶会で使っていい。
岡本太郎の作品に「坐ることを拒否する椅子」というものがありますが、茶を飲むことが出来ない茶碗は陶芸作品ではあっても茶碗ではない。
当代樂吉左衛門さんの作品は一見茶を喫することが出来ないようにも見えますが、ちゃんと茶碗として作られています。

難しいことは考えず、目の前にある茶碗を楽しめばいい。
つまり、茶碗鑑賞の基礎知識というこの記事は読まなくてもよいのです。
茶碗鑑賞に心得なんていりません。
気になったら、お近くの美術館・博物館に行けばいい。
2017年春は、各所ですばらしい茶碗の展覧会が開かれています。

ですが、知っておくと少しだけ違った視点で茶碗鑑賞が楽しめ情報があるのも確か。
この記事では、そんな基礎知識をお伝えしたいと思います。

一番大事なのは感じること。

なんかわかんないけどこの茶碗好き」「なんか嫌い

茶碗をみてそんな気持ちがでれば、もう立派に茶碗鑑賞の趣味がはじまっています。

※ここで言っているのはあくまでも美術館等で茶碗を鑑賞することに限っています。
 茶席における「茶碗の鑑賞」ポイントは異なります。

陶磁器の種類

施釉陶器(低火度)

1000度未満の低温で焼く陶器です。
釉薬は主に鉛が用いられます。
奈良三彩・唐三彩など。
日本では7世紀後半、奈良時代から始まりました。

施釉陶器(高火度)

1250度以上の高温で焼成します。
平安時代から始まり、藁灰釉や草木灰釉が用いられました。
いわゆる陶器がこれです。
茶碗の多くもこの陶器です。
ただ、樂茶碗のような比較的低火度(1000度から1200度くらい)で焼成される陶器もあります。

焼き締め陶器

釉薬をかけずに高温で焼く陶器です。
2週間以上焼き続けることもあります。
備前や信楽が有名です。

磁器

珪酸分の多い磁土を高温で焼いた焼き物です。
非常に堅く仕上がります。
青磁や景徳鎮が有名。
日本では江戸時代に入ってから始まりました。
有田では現在も磁器が焼かれています。

茶碗の歴史

お茶の歴史自体は、栄西禅師が我が国にもたらしたものとされている。
喫茶に用いられたお茶碗は、当時の中国で焼かれた青磁、白磁、建盞天目(けんさんてんもく)、玳皮盞天目(たいひさんてんもく)などがある。
これらの茶碗は「唐物」とよばれ、当時から現在まで一級の茶碗とされる。

茶道の歴史としては、室町時代の僧・村田珠光(じゅこう、しゅこう)が「わび茶」の創始者とされる。
一休宗純(一休さん)に禅をまなび、足利義政が珠光のパトロンとなった。当時将軍家などでは建盞や青磁のような美しい茶碗が好まれていたが、珠光は黄色みや茶色みがかった粗末な天目を選び、それらは「珠光茶碗」「珠光天目」と呼ばれた。この「わび茶」は後に、武野紹鴎千利休へとつながり大成していく。
この頃の茶碗は、「唐物」のほか、禅宗寺院が日常使いの大量生産品として瀬戸の陶工に焼かせた「瀬戸茶碗」などがある。

室町末期ごろから戦国武将や茶人たちは、朝鮮で焼かれた「高麗茶碗」を重視するようになる。
「高麗茶碗」は、はじめ「井戸茶碗」や「三島茶碗」、ついで秀吉の朝鮮出兵に関わり「呉器茶碗」「熊川(こもがい)茶碗」「堅手(かたで、かたて)茶碗」などが招来する。日本からの注文による作陶もおこなわれるようになり、江戸時代には「御本茶碗」とよばれる将軍家の注文茶碗もあらわれた。
日本国内で焼かれた茶碗(国焼ともいう)は、桃山期まではほぼ瀬戸茶碗のみ。利休のころになり、美濃焼、志野焼、瀬戸黒、黄瀬戸がはじまり、千利休と長次郎が樂茶碗を創始、古田織部が織部茶碗をはじめた。
その後、小堀遠州の時代には茶碗の作陶が全国に広がり、日本各地に窯が作られる。
江戸時代に各地の有力大名が経営した窯を藩窯(はんよう)とよび、幕府への献上品として高品質な製品を製作した。鍋島藩の鍋島焼や、黒田藩の高取焼などが有名。
明治に入ると廃れだし、一時期苦難な道を歩むこととなるが、次第に復興。
昭和の陶芸家たちは新たな茶碗を作り出すだけではなく、志野焼の技術を現代に復活させた荒川豊蔵などのように、失われた過去の技術を復活させることにも力を注いだ。
このように、茶碗は唐物・高麗茶碗・和物の大ジャンルと、現代陶芸の茶碗がある。

茶碗の種類

茶碗にはさまざまな種類がありますが、形と肌(土・焼き方・釉薬)、窯がおおきなポイントです。
例えば、典型的な「樂焼」であれば、ろくろを使わず手づくねで整形されていて、赤樂茶碗であれば赤い土に透明の釉薬をかけ低温で焼成してあります。ですが、もし「樂窯」で焼かれたまったく別系等の茶碗があれば、それも「樂焼」に間違いがないでしょう。
「天目茶碗」であれば、天目釉と呼ばれる鉄釉をかけて焼かれたすり鉢状の形をした茶碗ですが、広い意味でいえばこの形の茶碗を天目と言ったりもします。
志野茶碗、黄瀬戸、織部茶碗など、それぞれ産地・形・釉薬などが特徴となってそのまま茶碗の種類となっている。
志野も織部も元は人の名前で、陶工ではなく作らせた人の名前です。瀬戸は地名ですね。このルールで言えば樂茶碗は千利休茶碗とか京茶碗となるところですが、秀吉よりさずかった「樂」の家号が茶碗の名前となりました。

産地別に大別すると、「唐物茶碗」「高麗茶碗」「国焼茶碗」となり、それぞれ中国、朝鮮、日本で焼かれた焼き物を指します。
茶の湯でそれぞれの産地別に最高級とされる茶碗は、「曜変天目茶碗」「大井戸茶碗」「黒樂茶碗」です。

※以下、茶碗の説明に専門用語がいっぱいでてきます。わからない方は、先に「茶碗鑑賞の知識」その2茶碗鑑賞のポイント、用語集をご覧ください。

唐物茶碗

中国産
ただし、外国産の茶碗を総称して「唐物」と呼ぶこともあるため、高麗茶碗や安南茶碗(ベトナム産)も「唐物」とされることがある。

天目茶碗

建窯(けんよう)の建盞茶碗(けんさん)が最高級。
ほか、吉州窯(きっしゅうよう)の玳皮盞茶碗(たいひさん)/鼈盞茶碗(べつさん)など。

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典型的な天目形の茶碗(兎毫盞天目)

「佗茶」が始まるまでの正式な茶碗で、佗茶以降も最高のものとされた。
中国の貴人が天目で茶を喫していたのを、室町将軍家がまねしたのが茶の湯のはじまり。
「天目台」という専用の漆塗りの台に乗せて使用する。
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青磁

龍泉窯(りゅうせん)、砧青磁(きぬた)、珠光青磁など。

青磁茶碗−満月.jpg

青磁(せいじ)とはいっても青い色とは限らず、黄色や白いものでも「青磁」となる。
真っ白な「白磁」もある。
茶碗よりも花入れなどが多い。
日本では焼かれていない(近代・現代を除いて)。
龍泉窯が最高級であるが、高麗青磁も名品が多い。

染付・赤絵

呉須赤絵、伊万里、景徳鎮(けいとくちん)など。

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呉須赤絵
赤絵とはいっても、必ずしも赤い色とは限らない。

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祥瑞(しょんずい)「しょうずい」ではなく「しょんずい」と読みます。
「呉須(ごす)」とはコバルトのことです。
白い素地にコバルトを絵の具代わりにして絵や字を書き、そのうえから釉をかけて高温で焼成すると青や赤の色がでます。
このような焼き物を「染付(そめつけ)」といいます。

高い技術が必要で、日本で始まるのは江戸初期。
中国でも元時代からとなります。

最も有名なものは景徳鎮。
後に日本でも「伊万里」として興隆を迎えます。

安南

青花鳳凰文鉢.jpg
特殊な例として、安南(あんなん、現在のベトナム)で焼かれた茶陶がある。
コバルトで絵付けした素朴な作風が特徴。
漢字文化圏となる日本・中国・朝鮮・安南と、茶陶として用いられる焼き物の産地が重なっている。

高麗茶碗

朝鮮半島製。
元々茶碗として製作されたのではなく、日常使いの陶器を茶碗として「見立て」たものが多い。
少し時代が下ると、日本からの注文で製作されるようになる。

喫茶が日本に伝わり足利将軍家などがおこなっていたころは、天目や青磁などの唐物茶碗が使われていた。
「詫び茶」がはじまるようになると、「詫び」た高麗茶碗に注目が集まり、天正年間(信長〜秀吉の全盛期)には高麗茶碗が流行していたとみえる。

下記にさまざまな茶碗の名称(分類)が出てくるが、これらの分類は茶人たちがおこなったもので、江戸時代末期には完成していたとみられる。現在の考古学的な見方とほぼ一致している。

高麗茶碗は一椀一椀に個性がある。佗茶は個性を大事にしたので、特徴的な茶碗は珍重された。工場生産のように整った唐物茶碗とはまったく異なる。

朝鮮半島と日本の茶の湯の関係は深い。
ここで紹介している高麗茶碗のほか、秀吉の朝鮮出兵により連れ帰ってきた陶工が国焼茶碗の大きな担い手となった。

村田珠光のころ

狂言袴(きょうげんばかま)、三島茶碗(みしま)、粉引茶碗(こひき)、刷毛目茶碗(はけめ)、井戸茶碗(いど)など。
このころの高麗茶碗は「見立て」られたもの。

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狂言袴(雲鶴狂言袴)
最も初期の高麗茶碗
真ん中の模様が狂言師の袴の文様に似ていることからの命名。

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井戸茶碗
朝鮮の茶碗のなかで最上とされる茶碗。
「井戸」の由来は諸説あり、朝鮮出兵から持ち帰った人物が「井戸若狭守」だったというものや、地名からきてるというもの、見込みが井戸のように深いからといったものまでさまざま。
井戸にはさらに細かい分類があり「大井戸」「小井戸(古井戸)」「青井戸」「井戸脇」などがある。
すり鉢状に開いたかたちで、肌の色は枇杷色(びわいろ)、腰や高台脇に「かいらぎ」があるのが特徴。
見込みには「目跡」がついていることも多く、見どころとなっている。
※目跡:窯に入れて焼くときに茶碗を重ねて焼くが、上下の茶碗がくっつくのを防ぐために置いたものの跡。

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三島茶碗(みしま)
三島は模様を象眼してあるのが特徴で、高麗青磁の手法がそのまま碗に使われたものと見られる。
「三島」の由来は、模様が三島大社の暦に似ているからという説がある。
※象眼(ぞうがん):素地を削りくぼみをつけ、そのくぼみを別の素材で埋める手法。

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粉引茶碗(こひき)
粉引は、黒い土に白い化粧土をかけて焼成する。
白い土の粒子が粗く、粉を吹いているようにみえるため「粉引」とつけられた。
化粧土がかかっていない部分は下の黒い土が見えて見どころとなる。

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刷毛目茶碗(はけめ)
刷毛目は黒い土の素地に白い泥土を刷毛で塗ったもの。
刷毛の目跡はさまざまであり茶碗の個性となる。
粉引の白泥が少ないときに刷毛でぬったのが始まりとも言われる。

三島・粉引・刷毛目は同じグループに属する。

武野紹鴎のころ

呉器茶碗(ごき)、堅手茶碗(かたて)、雨漏茶碗(あまもり)、熊川茶碗(こもがい)などがある。

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熊川茶碗(こもがい)
熊川と書いて、「こもがい(こもがひ)」「こもがえ」と読む。
朝鮮半島の貿易港の名前からきたと言われ、港の名前を産地と間違えたのが定着した。
このため産地はさまざまであり、同じ熊川でもいくつかのタイプがある。
膨らみのある腰と端反りの口縁は共通した特徴。

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呉器茶碗(ごき)
御噐からきた名前で、名前のとおり祭器として作られたもの。
比較的薄作りで大きな鉢高台が特徴。
上の写真は「紅葉呉器」という種類で、紅葉のような肌の色が特徴。
ほかにも「大徳寺呉器」「錐呉器」「尼呉器」などいくつか細かい種類がある。

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堅手茶碗(かたで)(長崎堅手)
堅く焼き締まったところからつけられた名前。
井戸風の少し広がった形をしている。
同じ種類に「玉子手(柔らか手)」と呼ばれる茶碗もある。

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雨漏茶碗(あまもり)
雨漏りのようなシミが出た茶碗を「雨漏」という。
釉薬の穴から染みこんだ茶や水分がシミとなるが、シミすらも景色として見どころに変えてしまう佗茶のおもしろさがある。

千利休のころ

蕎麦茶碗、斗々屋茶碗(ととや)など。

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斗々屋茶碗(ととや)(魚屋)
魚を商う豪商に家に伝来したものを本歌したことからの命名といわれる。
碗形のものと朝顔形のものがある。
竹節高台が特徴。

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蕎麦茶碗(そば)
表面が蕎麦かすのようにザラザラとしているところから名付けられたという説と、井戸のようにだから井戸の側(そば)という説がある。
竹の節高台と縮緬皺が特徴で、特に大きな特徴は張り出した腰。

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割高台茶碗(わりこうだい)
筆洗形の形で大きく割られた高台が特徴。
高台の割り方は、十文字や一文字などさまざま。
武人に好まれ大名家の伝来が多い。

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柿蔕茶碗(かきのへた)(銘毘沙門堂)
この姿と色が柿のへたに似ていることからの命名。
銅が大きく一段張っていて少し外に反った口縁、大きな見込みが特徴。
佗茶碗として人気が高い。

古田織部のころ

この頃から、日本からの注文により茶碗として焼かれていた茶碗が出始める。
御所丸茶碗、彫三島茶碗、伊羅保茶碗(いらぼ)など。

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御所丸茶碗(ごしょまる)
御所丸船という貿易船で運ばれたことから付けられた名前。
古田織部の意匠を発注した茶碗。
白手と黒刷毛があり、上記写真は白手。

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彫三島茶碗(ほりみしま)
通常の三島よりも深く彫り込まれた三島。
日本からの注文により生産されたとみられる。
外側にも文様があるものは「外花」とよび、特に珍重された。

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伊羅保茶碗(いらぼ)
肌がいらいらいぼいぼしていることからこの名がついた。
土に多く含まれた砂が焼成時に爆ぜることででこぼこの肌となる。
粗野な感じが茶人に好まれた。

小堀遠州のころ

御本茶碗(ごほん)。

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御本立茶碗
徳川三代将軍家光が書いた鶴の絵を小堀遠州がプロデュースして朝鮮に発注した茶碗。
後に将軍家の発注による茶碗を「御本茶碗」というようにもなる。

国焼

日本製の茶碗の総称。
ただし、狭義の意味では瀬戸以外で焼かれた日本製茶陶のことを指す。
これは、江戸時代の茶人の間では瀬戸焼だけが別格で「本窯」とされていたため。

「一樂二萩三唐津」という言葉があるように、樂茶碗、萩茶碗、唐津茶碗の順で茶の湯の茶碗として尊重された。

室町時代

瀬戸茶碗のはじまり。
唐物茶碗を写して瀬戸で天目が焼かれる。
佗茶の萌芽により、一級品の天目だけではなく従来まで二級とされていた天目も用いられはじめる。黄天目や灰被天目などは、形がゆがんでいたり色があせていたりするが、それが良いとされるようになってきた。

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白天目
唐物茶碗を写した国焼き茶碗

桃山時代

将軍家など非常に限られた範囲でおこなわれていた喫茶は、桃山時代になると各地の大名や町人の間にも広がりをみせる。
特に千利休は、さまざまなうつわを茶陶に「見立て」るだけではなく、自らの精神を体現した茶陶の「創造」に着手する。その最たるものが、長次郎に焼かせた「樂焼」の始まりとなる。

瀬戸のほか、美濃茶碗(志野、織部など)、信楽(しがらき)、備前、伊賀、唐津など現在でも良く聞く産地で茶陶がはじまる。

備前、信楽、伊賀や焼き締め陶器。
美濃、唐津は茶陶の生産が盛んになる。

戦国時代の時代精神を反映した豪壮で個性豊かなうつわが多い。

従来まで日常のうつわ、あるいは唐物茶碗・高麗茶碗の写しなど補完としての作陶しか行われていなかった日本で、本格的な創造がはじまる。

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伊賀(伊賀花入)

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信楽(信楽水指)

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備前(備前耳付水指)

これらの焼き締め陶器は釉薬をかけないが、窯の中で藁灰が被りところどころ藁灰釉となり景色となることもある。

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黒樂茶碗(俊寛)
千利休が茶の湯のためにはじめた焼き物、樂焼。
黒樂茶碗と赤樂茶碗がメインで現在まで続く。

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織部茶碗(黒織部銘冬枯)
古田織部の好みを反映した織部焼。
沓型など作為的に歪められた茶碗が多い。
緑色になる銅釉がかけられるのは赤織部といい、赤土と赤釉が使われる。
上記写真は黒釉を使う黒織部。

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黄瀬戸
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瀬戸黒茶碗
瀬戸は引き続き茶陶の産地として多種の茶碗を焼き続ける。

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志野茶碗
長石釉と素地に書いた鉄絵が特徴。

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唐津

江戸時代

萩焼、薩摩、高取、上野(あがの)、膳所(ぜぜ)のほか、仁清や乾山などの古清水などの京焼がはじまる。
江戸末期には、青木木米、仁阿弥道八、永楽保全など「陶芸家」の作品もあらわれる。

伊万里では東インド会社の要請により中国の景徳鎮写しの生産と輸出が始まる。
九谷、鍋島などの焼き物も最盛期を迎える。

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高取焼

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出雲茶碗

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萩茶碗

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萩茶碗(銘雪獅子)

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上野茶碗

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斑唐津茶碗

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奥高麗茶碗(奥高麗茶碗銘深山路)(唐津茶碗)

京焼
王朝趣味で綺麗な焼き物を焼く京焼。
卓越したろくろ技術と斬新な意匠を施した野々村仁清と、
尾形光琳の弟、尾形乾山の書画のような作品が代表的な京焼。
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野々村仁清(色絵金銀菱文茶碗)
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野々村仁清(色絵鱗波文茶碗)
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野々村仁清(銹絵水仙文茶碗)

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尾形乾山(銹絵絵馬文茶碗)

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永楽保全(日の出鶴)
永楽保全は仁清写しとして江戸後期に活躍し、金襴手や染付の卓越した技術をみせた。
「永楽」は徳川家より授かった姓で当時の年号。

格付け

現代では「重要文化財」「国宝」あとは「重要美術品」というわかりやすい目安があります。
※「国宝の茶碗一覧」「重要文化財の茶碗一覧」写真付きで紹介しています。

伝統的な格付けでは「大名物」「名物」「中興名物」というものがあります。
おおざっぱにいうと、大名物は東山御物等の東山時代の茶道具をメインとしています。
中興名物は大名物には入っていない名品を小堀遠州が選んだもの。
名物はさらにそこから漏れたけど後の時代に名品とされたものが選ばれています。
基本的には『雲州名物帳』や『大正名器鑑』によります。

名物の一覧を探したのですが、WEB上には見つかりませんでした。
ただ、著作権保護期間が切れて無料公開されている大正時代の書物「大名物茶碗類集・茶道必携」に、一覧と説明が出ています。
国立国会図書館デジタルコレクション「大名物茶碗類集・茶道必携」

赤楽茶碗・早船」の項目を読んでみると
名早船 色赤又白み赤共あり 利休好名物七種之内長次郎作 利休大阪住居の時此茶盌を所持なせしが或時京師にありて大阪より取寄る爲め使者を遣はしたり・・」(3頁)と、「早船」の銘の由来となった物語が書かれています。
※ふりがなが振ってあるので誰でも読めます。

今でもトップ10のようなランキングは普通にありますが、日本人は昔からそういうのが好きだったようです。
「番付」は大相撲のランキングですが、江戸時代にはいろいろなものの「番付表」が作られていました。

茶碗の場合は番付よりも、名物の中からさらに細かくジャンル分けした分類が出ました。

利休七種」「光悦七作」などがそうです。

利休七作は、黒楽茶碗3碗、赤楽茶碗4碗が指定されていましたが、残念ながら現存するのは3碗のみ。
黒楽茶碗「大黒」、黒樂茶碗「東陽坊」、赤楽茶碗「早船」(下記写真)が今にのこっています。

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関連記事:茶碗鑑賞の基礎知識

1.基礎:茶碗の種類や名称を豊富な写真で
2.基礎:茶碗鑑賞のポイント、用語集
3.名椀・国宝茶碗一覧
4.名椀・重要文化財の茶碗一覧
5.近代・現代の茶碗
おまけ:国宝と重要文化財に指定された茶碗一覧。観賞用全リストPDFあり
東京都内で茶碗・茶陶の鑑賞ができる美術館・博物館一覧

茶碗写真の多くは「特別展『茶の湯』東京国立博物館 図録」「茶の湯のうつわ-和漢の世界-出光美術館 図録」より

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