ミュシャの巨大絵画「スラブ叙事詩」全20作を作品画像付きで解説

ミュシャの巨大絵画「スラブ叙事詩」全20作を作品画像付きで解説

「スラブ叙事詩」は、ミュシャが16年の歳月をかけて描き上げた20作の連作です。 「温故知新」は論語の言葉ですが、ミュシャは温故知新の思想をもってスラブ叙事詩に着手しました。国や民族の過去を知ることで未来がある。ミュシャが […]

スラブ叙事詩」は、ミュシャが16年の歳月をかけて描き上げた20作の連作です。

「温故知新」は論語の言葉ですが、ミュシャは温故知新の思想をもってスラブ叙事詩に着手しました。
国や民族の過去を知ることで未来がある。
ミュシャが生まれた現在のチェコは、オーストリア・ハンガリー帝国などの他国に支配され続けてきた歴史をもつ。
また、スラブ民族は東ヨーロッパを中心とした各地に散らばっていた。
※「スラブ民族」とは、血脈ではなくスラブ語を話す人たちの総称です。

ミュシャの生涯も、「汎スラブ主義」というスラブ民族の統一を目指す運動のさなかにありました。
各地を旅して抑圧されたスラブ人の生活を目撃したミュシャもスラブの独立に目覚め、1910年にスラブ叙事詩を製作します。

1916年にはチェコスロバキアとして独立を果たしますが、この際、通貨や切手などのデザインをミュシャは無償で引き受けました。
「ミュシャ展」には、これらの紙幣・切手も出展されています。
独立10年のときにスラブ叙事詩は完成することになります。

チェコはその後、チェコスロバキア共和国の成立やナチスドイツに侵略されるなど不安定と抑圧の歴史が続きますが、1993年にチェコとスロバキアに別れ現在に至っています。

スラブ叙事詩 01. 原故郷のスラヴ民族

3世紀から6世紀を描いています。
右上の老人は多神教の司祭であり、平和を願っています。
当時のスラブ人は各地の他民族から侵略を受けていました。
後ろには略奪者たち、手前の2人は逃げ延びるスラブ人であり、アダムとイブの失楽園を暗示しています。

スラブ叙事詩 02. ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭

8-10世紀の多神教を信じるスラブ人を描きます。

侵略を象徴するゲルマン人の戦神トール

スラブ叙事詩 03. スラヴ式典礼の導入

9世紀、ラテン語の聖書をスラブ語に翻訳する状況を描く。
右上の4人はロシアやブルガリアの皇帝。
左上は東ローマ帝国の修道士や彼らを派遣した国王。

スラブ人の団結を象徴

スラブ叙事詩 04. ブルガリア皇帝シメオン1世

9世紀から10世紀
スラブ文学の創始者と目される皇帝を描く。
多くの主要文献を学者たちに翻訳させている。

スラブ叙事詩 05. ボヘミア王プシェミスル・オタカル2世

スラブ人諸国が同盟し統一されたことの象徴として、ボヘミア王とハンガリー王子を中心に描く。

スラブ叙事詩 06. 東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン

1346年、東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝

スラブ叙事詩 07. クロムニェジージュのヤン・ミリーチ

伝道者ミリーチが、多くの娼婦を改心させ、娼館を修道院に改築している1372年の出来事を描く。
下の白い衣の女性たちが元娼婦。

ミリーチ

スラブ叙事詩 08. グルンヴァルトの戦いの後

中世ヨーロッパ史上最大の戦いとされる「グルンヴァルトとの戦い(1410年)」を描く。
ドイツ騎士団とポーランド王国・リトアニア大公国が争い、ポーランド王が真ん中少し上に描かれる。

スラブ叙事詩 09. ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス師

チェコ宗教改革に邁進し、カトリック宗教裁判で火あぶりにされたヤン・フス師の説教の場面。
1412年なので、プロテスタント運動が高まる100年前。

ヤン・フス師

スラブ叙事詩 10. クジーシュキでの集会

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台の上に立つのが、チェコの宗教改革運動指導者ヴァーツラフ・コランダ司祭。

スラブ叙事詩 11. ヴィートコフ山の戦いの後

フリーメイソンの一員でもあったミュシャは、暴力や流血の場面を描かず、事後の光景を描いた。
これは、十字軍の軍勢に囲まれたプラハで、フス派と市民の混成軍が十字軍を撃退した1420年の出来事を描いた。
中央左側の黒衣の人物が、フス派指導者ヤン・ジシュカ。
右側の目立つ人物は、戦が終わり神に感謝の祈りを捧げる司祭。

スラブ叙事詩 12. ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー

11番と同じフス戦争を描く。
遠景には焼き払われた街。
逃げ延びた人々が虐殺された者を弔う場面で、復讐心に燃える民衆を諫めるヘルチツキーが中央に描かれる。

スラブ叙事詩 13. フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー

チェコ議会が民主的に選出したイジー王

中心左側の人物は教皇の特使。
世俗と教会の衝突を描く。

これは1462年を描いているので、ローマ教皇と神聖ローマ皇帝の両剣論からは1世紀以上経過、ローマ・カトリック教会内部で公会議と教皇の首位が争われていたあたり。
右下でこちらを向いている少年の手にある本は「ローマの終焉」

スラブ叙事詩 14. ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛

こちらは1566年、オスマン帝国の攻撃を防衛する戦いを描く。

スラブ叙事詩 15. イヴァンチツェの兄弟団学校

スラブ叙事詩 16. ヤン・アーモス・コメンスキーのナールデンでの最後の日々

カトリックへの改宗を迫られたボヘミア国民(プロテスタント)が放浪したどり着いたオランダ・ナールデンを描く。

スラブ叙事詩 17. 聖アトス山

正教会最古の宗教施設である聖アトス山の寺院を描く。
画面下部は巡礼する人々。
上部は天上界で、石像のようなものは智天使ケルビムで、それぞれスラブ系の修道院の模型をもっている。

スラブ叙事詩 18. スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い

この作品は、ミュシャの生前は公開されず、「スラブ叙事詩」が初公開されたときも展示されたのは19作のみであった。
作品自体未完成。

スラブ叙事詩 19. ロシアの農奴制廃止

ロシアの赤の広場
農奴解放により自由となった民衆が呆然としている姿を描く。

スラブ叙事詩 20. スラヴ民族の賛歌

最後にミュシャは、スラブ民族独立を表現した。
1枚の絵画の中に、スラブの歴史を詰め込んである。
また、中央の大きな青年は、第一次世界大戦による独立した多くの国民国家も象徴している。
彼が持つ花輪は自由と調和。

分かりやすく色分けされていて、右下青がスラブ神話。
左上赤が中世、その下の黒が抑圧時代、中央の黄色はチェコスロバキアの独立をあらわしている。

ミュシャは、抑圧され続けたスラブ民族とチェコ人というアイデンティティーを強く持ってこの作品を生み出し、生涯を終えた。
この作品からは、勝ち取った自由や平和を賛美している様子がうかがえる。
現代に生きる我々は、強すぎる民族アイデンティティーはナショナリズムや民族浄化の原動力となったことも忘れてはならない。

しかしながら、19世紀から20世紀前半という激動の時代を生き、抑圧され続け各地に散らばっている民族として生まれ育った1人の芸術家が、時代や民族をどのようにとらえて生きたのか。
グラフィック・デザイナーやイラストレーターの先駆けとしてのミュシャではなく、生身の芸術家としてのミュシャを知ることができる貴重な作品であり、「スラブ叙事詩」のすべてを見ることが出来る展覧会はおそらくもう日本では開催されないように思う。

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