クローンとは、遅れてきた一卵性双生児だと思うとわかりやすい。
少なくても近い将来において人工子宮の実現可能性がない現在、クローンもまた女性の子宮内でしか育たない。
人工的に成長を速める技術もないため、20歳のホストのクローンをつくり同じ状況にするためには、20年と約10箇月かかる。
SFのように記憶を移す技術もない。
母から生まれ育つ以上、クローンであっても、人権のうえで制限がなされると想定することはできない。
※コラム
倫理を度外視すれば、脳死状態にある女性の身体を利用して妊娠・出産まで至らせることは、技術的には可能である。
実際に、妊娠状態にある女性が脳死状態となったのち生命維持装置につなぎ、数ヶ月後に無事出産した例がある。
出産後生命維持装置は外され、この女性は身体も含め死亡した。
では、SF的クローンであればどうだろうか。
試験管の中でヒト胚が分裂し、人口子宮で育成し、極めて短期間で成長するクローン。
これを「SF的クローン人間」としてみよう。
SF的クローン人間について、現行法には規定がない。
民法第三条 私権の享有は、出生に始まる。
SF的クローン人間がクローン培養槽から出て来ることを「出生」とすることができるのであろうか。
「出生」前のSF的クローンは、「胎児」となるのであろうか。
ここでは仮に、SF的クローン人間であっても、自然出生した人間と同じ権利を持つ社会を想定しよう。
アリストテレスの「等しいものを等しく、等しくないものを等しくなく扱う」という原理は、現在の正義の原理において基本となっている。
出生までの過程がいかに異なろうと、その後においてSF的クローンと普通の人間は、なんら違いはないのだから。
※遺伝子操作を受けたデザイナーズベイビーであれば、「等しい」とはいえないかもしれない。
結果として、SF的クローン人間を、その人格を無視して兵士にしたり臓器提供物とすることはできない。
一方、「クローン臓器」技術の発展は切望されている。
心臓や肺などの移植は、適合性や提供の少なさが問題となり、今も多くの人が苦しんでいる。
自分のクローン臓器であれば、多くの問題が解決する。
誰か臓器提供者が現れるのを待つ必要も無い。
(時にこれは他者の「死」を待ち望むことにも繋がり、臓器を必要としている人の心理的負担ともなる)
SF的クローン人間が可能であるのであれば、SF的にクローン臓器を生成することも可能であろう。
心臓や肺であれば倫理的な問題は少ないが、もしこれが「脳以外の全身」や「脳」であればどうなるのだろう。
「脳以外の全身クローン」は、単体の臓器クローンの集合体となんら変わることはない。
例えば、放射線により致命的なダメージを全身に受けた患者や、癌が全身に転移した患者にとって必要となる(もし移植が可能なのであれば)。
この臓器集合体に、「脳」が付いていたらどうなるのであろうか。
客観的には、なんら変わることはないようにも思える。
脳に自我が目覚めておらず、目覚める可能性がないのであれば。
この状態の「全身クローン臓器体」は、生物学的にみれば脳死者と同じである。
脳死を生命の終わりであると認定し、臓器を取り出し身体の生命を終わらせることが認容されるのであれば、このクローンから臓器を摘出することも認容されるはずであろう。
※もちろん。不可抗力により今まで生命を謳歌していた人間が脳死者になるのと、脳死者と同じ状態のクローンを自ら作り上げるのでは、倫理的には大きな違いがある。
そう考えると、一番重要なのはやはり「人格」ということになる。
身体があるかどうかではなく、人格があるかどうかが、人権を享受できる主体となりうるのかどうかの境目となる。
もし、有名な思考実験である「培養槽の中の脳」が人格を持つのであれば、この脳には生きる権利があり、人権をもつ。
SF的クローン人間を増産し、記憶をコピーしたとしても、すべてのクローンに主体となった人物と同じ人権が付与されるはずである。
「脳死は人の死」というのは、現在便宜上作られているルールでしかない。
脳死状態であっても脈拍も体温も安定し、髪の毛も髭も伸びる。
寝ているようにしかみえない。
脳死は本当に死なのだろうか。
クローンで考えてみたい。
もし脳死が人の死ではないのであれば、「完全な臓器を備え脳の意識の部分が働いていないクローン」も生きているということになる。
この臓器クローンに、手足がなかったとしても変わらない。
ではほかの臓器がなかったとしたらどうだろうか。
最低限身体の生命を維持出来るだけの臓器があれば、生きていることになろう。
もっと突き詰めると、やはり「培養槽の中の脳」まで行き着くように思う。
たとえ意識がない脳であったとしても。
つまり「生きている」と言えるためには、脳が必要。
逆に脳が生きていれば、生きていると言えるのかもしれない。
まとめると、SF的クローン人間に人格が目覚める脳機能がないのであれば、彼らに人権はなく臓器提供物とすることができる。
逆に、人格があるのであれば、制限されない一般人と同じ人権を持つこととなる。