クローン人間を禁止することは論理的に正当化できない

クローン技術は神への冒涜なのか

1997年、クローン羊のドリーが世界中の注目を浴びました。
はじめて、ほ乳類のクローンが誕生したのです。
人々の頭に浮かんだのは、「人間のクローンも可能」という事実でした。
これに向き合い、宗教・科学・倫理など、さまざまな論争がわき起こりました。

では、クローン人間をつくるのはいけないことなのでしょうか?
感情的には、なにかよくないと思います。
ですが、何がいけないのか、本当にいけないのか、考えてみます。

危険性

クローン羊のドリーは短命でした。
テロメアの影響を指摘する声もありましたが、最近ではクローンも短命ではないという結果もあります。
Healthy ageing of cloned sheep

ここで言いたいのは、危険性はクローンを中止する論拠にはならない、ということです。

クローンが議論されるということは、クローン製造の必要と需要があるということです。
危険なのであれば、危険がなくなるような研究、安全性を確信できる研究を推進すべきです。
そのうえで安全性が確立されたとしたら、クローンに反対する論拠がなくなります。
反対することが目的なのであれば、安全性を持ち出すことはできません。

また、安全性に言及するのであれば、致命的な遺伝病を患っている胎児を出産することも禁止しなければならなくなります。
遺伝子検査で生後1週間しか生きられない病であることがわかったとしたら、
致命的な疾患により、いわゆる植物状態で生まれてくるとしたら。
そのような胎児であっても、生まれてくる権利はあるのではないでしょうか。

そうであれば、それらの限界事例よりはるかに健康で長命なクローンを禁止することは出来ません。

親子関係

クローン人間は、本当の親が誰であるのかわからなくなります。
クローンの遺伝子は、ほぼ100%クローン元となった人間のものです。
ですが、その遺伝子は卵子に入ることで人間の女性の胎内で育ち、普通の人間と同じように出産されます。

母がクローン元でないのであれば、母は生物学的には他人です。

これを論拠とするのであれば、現在おこなわれている、いわゆる借り腹も禁止する必要があります。
人工授精した卵子を代理母が出産することは、すでにおこなわれています。
凍結精子を利用することも同様です。

クローンだけを禁止する論拠にはなりません。

臓器とか代わりとか

現実はSFではありません。
クローン人間もただの人間です。
一卵性双生児とほぼ同じです。

なぜ、クローンというと臓器という話が出て来るのでしょうか。
クローンであろうがなんであろうが、人間の臓器等を本人の許可なく(許可があっても)使うことはできません。
クローンであろうが、日本国憲法のもとでは(おそらくどの国でも)人権を持ちます。
人間は人間であるというただそれだけの理由で、人権を持ちます。
人権からクローンを排除する理由も法もありません。

法的にも生物学的にも、どのような側面でみても、独立したひとりの人間です。

生命への冒涜である

具体的に何を言っているのかわかりません。
何が冒涜で何が冒涜ではないのでしょうか。

人工授精は冒涜ですか。
人工生命維持は冒涜ですか。
計画的な妊娠は冒涜ですか。

宗教的な理由以外に、生命への冒涜であるとする具体的な論拠がありません。
また、宗教は理由になりません。
特定の宗教を論拠に政策や論理的な正当性を判断することは、現代においてはありえません。

自分の分身をつくる、あるいは愛する人の分身をつくる、これが感情的に違和感を感じるのはわかります。
ですが、自然妊娠で子をつくるのと何が違うのでしょうか。
また、このような理由によるクローンを禁止することもできます。
クローン全体を禁止する理由にはなりません。

生まれた子が悲惨な人生を送る

クローン人間としてマスコミに追われ、両親もなく、クローンであるという事実と向かい合う人生。
確かに、不幸なのかもしれません。

ですがこれは、遺伝子検査により障害児の出産を排除することや、同性愛者の結婚と出産・養子とか、夫婦別姓とかと同じレベルであると思います。
障害者の人生は不幸である、異性の両親が揃っていない子は不幸であるという、価値観の押しつけです。
また、公表しないなどの防御策は考えられます。
クローンを禁止するのではなく、クローンを受け入れる社会作りという選択肢もあります。
禁止する決定打にはなりません。

まとめ

このように、感情と論理のあいだには乖離があります。

感情では「駄目でしょ」と思います。
菜食主義も同様ですが、論理的に考えると、なぜ駄目なのかを立証することが出来ません。
ですが人間は不合理な生き物で、すべてを論理的に合理的に、ロボットのように考え生きることは出来ません。
それでいいのではないかと思います。

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