ベジタリアンになる理由
ベジタリアンと聞くと、宇宙人にあったかのような反応をされることがある。
「宗教?」
「マクロビ?」
「植物だって命でしょ」
「偽善者」
このような反応はあたりまえ。
カルト宗教の信者や、ネズミ講にはまってる人にするのと同じ態度。
どうやら何か、ベジタリアンというステレオタイプがあり、それに当てはめて見ているようだ。
実際にベジタリアンの人と深く話したことも、たいして興味もないだろうけど。
なにか、異質なモノ。認めたくない。排除したい。そんなものは存在しない。
そういう態度を取られることがあっても不思議はない。
映画イージーライダーで自由に生きているバイカーを射殺した善良な村人のように、
自分の常識から外れたものへの攻撃、排斥は、現在社会でもさまざまな形で見受けられる。
特に、確立された自分の世界や価値観を壊す恐れがある物に対しては容赦がない。
みんな、おいしい肉が食べたいから。
「肉を食べないなんて不健康」
ビタミンB12以外はまったく問題なく摂取できるし、仮に栄養や健康面から肉が必要なのであれば、必要最低限なだけ摂取すればいいはず。
「やつらは食べられるために生まれてきた」
「もう死んでるんだから、食べられるために殺されたのに食べないなんてかわいそう。逆に失礼。」
いろいろな理由をつけて否定するけれど、結局はおいしいお肉が食べたい。という一言に尽きる。
素直に、「動物の命なんてどうでもいい。肉はおいしい。だから食べる。」
こう言う人の方がはるかにまともだし信用できる。
私はベジタリアンだけど、人に強要したことはない。
肉がおいしいのはよくわかってるし。
私が考える、ベジタリアンになる理由で代表的なものを、いくつかあげたい。
健康、宗教、科学(倫理)、感情(共感)
の4点。
ざっと簡単に説明する。
健康
ベジタリアンはむしろ健康にいい、心臓病がよくなったとか聞くことがある。
逆に必要な栄養が取れないので身体に悪いとも聞く。
だけど、自分自身で体験したことではないし、医学の勉強をしたこともないので、これについてはなにも言えない。
自分自身のことをいえば、現在アラフォー。
ベジタリアンになって10年くらいたつ。
先日人間ドックで検査してきたけど、異常なし。いたって健康。
身長体重も高校生のころから変わらない標準体型。
もともと悪いところはなかったので、良くなったとも悪くなったとも言えない。
私にとっては、10年たったいまのところ、健康面への影響はない。
宗教
世界的には、宗教上の理由で菜食主義という人がいる。
キリスト教は肉食OK。
キリスト教の神は、人に地上のすべての動物を「支配しろ」(「管理しろ」であるとの異論あり)と命じた。
動物を含め地上のすべてのものを自由にしていいお墨付きが神から与えられてる。
ごく一部の宗派や修道院で禁止しているところがあるくらい。
禁止の理由は不明(調べたことない)。
ユダヤ教は条件付きでOK。
ヒンドゥー、イスラムでは、条件つきでOK。
仏教は宗派や地域による。
完全に禁止しているところもある。
それぞれの宗教がなぜ禁止しているのかの理由は不明。
教祖の趣味?
科学
痛みや不快を感じる能力がある生命は尊重に値すると考える。
すべての脊椎動物が該当する。
魚が痛みを感じることは立証されている(人の顔も覚えるそうで、テッポウウオの実験例あり)。
植物にこのような器官や能力があるという報告はない。
科学的にみても直感でみても、植物が快不快を感じるというのは考えにくい。
私は庭師の手伝いをしていたこともあり、ガーデニングも趣味なので普通の方よりは植物に詳しいつもり。
昆虫は不明。
もしかしたら、感じる能力があるのかもしれない。
疑わしきは罰せずということで、少しでも可能性があるのであれば尊重に値すると考える。
(植物を育てると虫を殺す必要がでてきます。この面では、尊重の対象の軽重が逆になります。後述。)
卵は、自然に産卵したものであれば、許容できますが、
生物を卵を産む機械や乳を出す機械として扱った結果得られる食物は、親である動物を尊重していないこととなり許容されません。
これが、食べてもいいのかいけないのかの科学的な境目です。
(功利主義者ピーター・シンガーの考え方そのまま・・)
余談ですが、人間の胎児について。
4週ごろに、神経や脳などの形成が始まります。
14週ごろには、体表部の痛刺激に反応を示します。
つまり、4週から14週のあいだのどこかで、痛みを感じる能力を獲得することとなります。
少しでも可能性があるのであれば尊重するということで、4週目以降の堕胎はできるだけ避けた方がよさそうです。
(気づくのが大体それくらいなので、事実上中絶が出来ないということになりそうです・・)
共感 ベジタリアンの境界
食べると食べないの境目はどこでしょう
ベジタリアンにも、いろいろな種類があります。
魚
卵
牛乳
これらすべてを禁じているのがビーガンです。
厳密には、ダイエタリービーガンといいます。
ビーガンは、食に限らず、一切の動物製品を使用しない人をさします。
革製品、絹、動物実験をした化粧品等の製品、毛皮、羽毛、
凄い人は、少しでも動物実験をしている企業の商品は一切使わないという人もいます。
ベジタリアンじゃなくても、日本人なら犬は食べないでしょう。
猫も食べない。
豚は食べる。
ペットのミニブタは食べない。
この境目はなんでしょうか。
わたしは、「共感」の概念にあると考えています。
理性ではなく、感情的なものです。
古くはアリストテレス、J.S.ミル、ヒュームなど、哲学の巨人たちが共感について論じています。
共感を感じる度合いによって、線が引かれます。
テレビのニュースで、どこか遠い国で1万人が犠牲になり無くなったというものへの感じ方と
自分が大事にしていた犬が死んだということへの感じ方
自分の犬が死ぬことのほうが、はるかに衝撃は大きいです。
遠くの町で10人殺されるより
自分の近所で1人殺されかけることの方がはるかに重要です
たとえ自分への害が100%無いとしても
心臓病の子供ひとり助けるために集める金額
同じ金額をアフリカの子供たちに使えば、何万人も救うことができます
盲導犬を1頭育成する資金を栄養失調の途上国の子供たちに使えば
1000人以上の人が失明するのを防ぐことができます
どちらも重要ですが、自分にとってどちらが重要なのかといえば、共感をより強く感じるほうでしょう
縁もゆかりもないアフリカの1000人の子供より、日本の子供一人の命のほうが重要と感じて、なにもおかしくない
犬と豚では、犬のほうにより共感を感じます
食肉用の豚とペット用の豚は、共感の観念からみればまったく別物です
生き餌のはずだった天王寺動物園のニワトリ
いまから彼を殺すとしたら、非難が殺到するでしょう
おいしいフライドチキンを食べながら非難の電話をしたとしても、なにもおかしくありません
倫理的なベジタリアンは、通常の人よりも「共感」のおよぶ範囲が広い
要は、食べるという共感の線をどこに引くのか
人間に引くのか
犬に引くのか
豚に引くのか
魚に引くのか
植物に引くのか
これが人それぞれ違う
余談ですが、上であげたような世界規模で考える貧困や支援については、「グローバル・ジャスティス」「グローバルな正義論」として、世界中で議論されています。