功利主義の概要
批判的に「快楽主義」であると揶揄されることもある功利主義は、「最大多数の最大幸福」という有名な言葉がその内容をあらわしている。
功利主義は政治思想に大きな衝撃を与え、現在もなお世界中に影響を与え続けている。
功利主義を大成したジェレミー・ベンサム(1748年〜1832年)が「自然は人類を苦痛と快楽という二人の主権者のもとにおいてきた」とするように、「快」と「苦」が人間の行動原理であり、「快」が大きければ大きいほど正しいことであるとする。
例えば、大富豪から多額の税金を取り貧困者に配布したとする。
多額の税金を強制的に徴収された大富豪の「苦」と、そこから配分を受けた貧困者の「快」を比べる。
今にも餓死しそうな状況であった多くの人が救われるのであれば、間違いなく「快」のほうが大きくなると想定され、功利主義ではこの行為が正しいとされる。
功利主義は行為の動機ではなく結果を重視するため「帰結主義」のひとつである。
著名な辞書では功利主義を下記のように説明。
- こうり‐しゅぎ【功利主義】(utilitarianism)広辞苑 第六版 (C)2008 株式会社岩波書店
- (1)広義では、功利を一切の価値の原理と考える説。
(2)ベンサム・ミルらを代表とする倫理・政治学説。快楽の増大と苦痛の減少を道徳の基礎とし、「最大多数の最大幸福」を原理として社会の幸福と個人の幸福との調和を企図した。ベンサムとミルとは共に快楽主義に立脚するが、幸福についての考え方を異にする。功利説。
- 功利主義(こうりしゅぎ)三省堂類語新辞典 (C) Sanseido Co.,Ltd. 2014
- ①利益や効用を行為の目的とする主義。「―の世の中」
②幸福と利益の追求を人生や社会の最上の目的とする主義。
功利主義の批判と発展
功利主義には欠点も多く指摘され、誕生してから現在に至るまで様々な批判にさらされている。
そして批判を受け入れることで功利主義は発展し、現在まで様々な功利主義が論じられている。
古典的功利主義
ベンサムの功利主義は快楽の「質」を問題とせず、その量のみを対象とした。
これは、悪徳にふけったり、怠惰な生活をおくることを奨励するようにも取ることが出来る。
ベンサムの友人を父に持ち功利主義を受け継いだジョン=スチュアート・ミル(1806年〜1873年)はこの批判に対し、快楽の「質」もまた重要であるとして、「満足した豚であるより、不満足な人間であるほうがよく、満足したバカであるより、不満足なソクラテスであるほうがよい」という有名な言葉で表現した。
ミルは質を判別する方法も提示しているが、決して説得力があるものではない。
ベンサムやミルの功利主義を「古典的功利主義」という。
選考功利主義
効用の個人間比較は不可能であるという批判がある。
例えば私と友人が一緒に行動していて昼食を取る際に、私はカレーが食べたい思っているが、友人はラーメンが食べたいと思っている場合。カレー屋に入ることで私が得られる「快」とラーメンが食べられなかった友人の快(苦)。その逆にラーメン屋に入った場合とで、どちらのほうが2人の「快」の合計が大きいのか比較することは難しい。
このとき「選考」に着目する。私はカレーが食べたいがラーメンでもいいと思っていて、友人はカレーなんて食べたくないと思っている場合次の通りとなる。
私「カレー >= ラーメン」
友人「カレー < ラーメン」
これなら、「ラーメン」を選ぶことが選考充足という意味で正しい。
これを従来の功利主義でやろうとすると、快苦を数値化する必要がある。
私だけであれば「ラーメン8点、カレー5点」、友人「ラーメン1点、カレー10点」など付けられるが、私の「1点」と友人の「1点」が等しいのかどうかは比べようがない。
このとき、古典的功利主義を「基数的(1点、2点、・・)」であるといい、選好功利主義を「序数的(1番目、2番目・・)」であるという。
この選好功利主義にも有力な批判がある。
確かに選考充足であれば比較が可能となるが、貧困な状態にある者は一切れのパンでも大きな充足を得られるのに対し、裕福な環境にある者は高価な食事でも充足が満たされないこともある。アマルティア・センの言うように、選好功利主義では社会の正義をかなえることは不可能であろう。
間接的功利主義(規則功利主義)
古典的功利主義で考えると不合理な場面が出てくる。
例えば、娯楽の少ない社会で人々の不満が高まっているときに、誰かひとりを犠牲の見せ物にして娯楽を提供するということが考えられる。その社会が100人であるとしよう。見世物となる1人は大きな苦痛を味わうが、それ以上に99人の快の合計の方が高くなるのであれば、この行為は正しいと判断される。
このような行為時に功利主義を適用する考え方を、「直接的功利主義」または「行為功利主義」という。
この批判に対して、具体的な行為時ではなく、社会のルールを決めるときに功利主義を適用する考えを「間接的功利主義」または「規則功利主義」という。
1人を犠牲にするという「制度」が社会のルールとして正しいのかどうか。
このようなルールがある社会は、次は自分が犠牲にされる番かもしれないという不安を常に抱えることとなり、全体的には「快」よりも「苦」のほうが強くなるであろうと考えられ、正当化されない。
規則に反する行為は、その行為自体が快を増大するとしても禁止される。
もうひとつ例をみると、今にも餓死をしそうな人がパンを盗んだとする。パンを1つ盗まれたパン屋の苦と、命を繋ぐことができた盗人の快は比べるまでもなく、命の方が重い。と行為功利主義なら考える。逆に規則功利主義では、「事情により盗んでもよい」とする規則を制定する社会は考えられず、この行為は正しくないとされる。
負の功利主義
カール・ポパーが提唱する功利主義のひとつ。
快ではなく「苦」を重視し、苦を減らすことが正しいとする。
相対的に苦の状態が多い社会的弱者の改善を重視する立場であるともいえる。
理想的功利主義(理想主義的功利主義)
ジョージ・エドワード・ムーアが提唱する功利主義。
快楽以外の要素も考慮に入れ、「善」を目指す考え方。
功利主義は帰結主義であるが、善という「目的」も重要であるとする。
功利主義まとめ
功利主義は多数決原理を採用する民主主義と親和性が高く、功利主義的思想により政策決定がなされることは多い。
多数者の専制やマイノリティの切り捨てを正当化する原理ともなりうる功利主義は、反面として障害者や動物までも含めすべて平等であるとする論理一貫した理論でもある。
1970年代のジョン・ロールズ『正義論』以降、批判にさらされ続ける功利主義であるが、価値感が多用となり統一した善の観念が存在できない現代においては有力な思想であり、功利主義者を自認する者も多い。
女性の権利を考える先駆けともなった「女性の解放」を著したのは功利主義者ジョン・スチュアート・ミルであるし、動物の権利運動の理論的根拠ともなったのは功利主義者ピーター・シンガーである(シンガー自身は「動物の権利」とは言っていない)。
功利主義は、正義や公正を考えるときだけではなく、社会を知るために知らなければならない最重要な理論のひとつでもある。